生活環境が厳しいのかな、、、
宗教の本質は「考え方の偏向による現実問題の置換」だと、個人的に俺は思う。





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120204-00000151-yom-soci





例えば厳しい戒律を持つ宗教。

厳しい自然環境の中で集団が生き抜くための「経験の蓄積たる知恵」がその教えには生きている。



「神の思し召しのままに、、、」



そこには人知の及ばぬ事象に対する諦めが感じ取れる。


(「神の与えたもうた試練」とか、な)


そもそも「神に祈る」という行為はそれそのものが第三者への思考の丸投げに他ならない。

考え方を変えて楽になるというのは一種の逃避だよな?

現実には自分を取り巻く環境は全く変わってないけれど精神的には楽になるだろう。



無論、何事も努力と工夫によりどうにでもなる、、、等とは言わぬ。

どうにもならぬ時にスッパリと諦めて投げ出したり他に出来る事を探したり、放心したり感情に身を任せるのも一種の切り替えだと思う。

(あくまでも「切り替え」、気分転換である)
















だがね、極めて個人的に俺は気に入らない。










そこに心の平穏はあってもヒトとしての幸せは無い。

ヒトは支払った代償に応じた価値しか感じることは出来ないのだからな。

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