【膝に】FFXI【矢を受けて】
2014年6月18日 日常 コメント (2)楽しみにしていた(今現在もだから「る」か)ブログがある。
残念ながらブログの作者とは直接・間接を問わず一切の面識は無いが、「赤魔」や「獣使い」の記事に惹かれて巡回するようになったのが切欠だった。
俺と感じ方が同じだとは思わないが、その作者もアビセアで首を傾げアドゥリンで醒めたというクチだったらしい。
尤も、彼(彼女?)の場合はそれでも一緒に楽しむ「仲間」が居て、今でも(それが半ば惰性だとしても)定期的にログインしてヴァナディールを楽しんでいるようだ。
そんな日記の最新記事・・・とは言ってもログが4月なんだけど、そこにはとあるクエストの感想が寄せられていた。
「各地のテレポイントを巡る」という一見、なんでもないようなクエスト。
しかし、そこに語られるNPCの台詞に心をかき乱される・・・過ぎていった日々を、失ってしまった、だが、かつては確かにそこに在ったモノを想って・・・
元・冒険者というNPCの回想はトールキン世界のエルフの最期にも通じるモノを感じる。
俺の予想の斜め下奥辺りをえぐるように螺旋を描きながら爆走するFFXIに見切りをつけてFFXIVを始めようと思ったのは、そこにかつてのFFXIの姿をダブらせていたからに他ならない。
(だから非常に短期間でエンドコンテンツオンリー・IL縛り・ソロ推奨だがボッチ排斥という末期MMO化してしまったFFXIVに醒めちゃったのかもね・・・)
MMOを媒介にした他人との係わり合い、その日、その時だけの共通の目的を持ったメンバーとのふれあいを「楽しい」と感じていたんだ。
思えばPTメンバーを集めるのが好きだった。
話しかけて、無視されたり、返事があったり、断られたり、了承されたり。
上手くコトが済んで気持ち良く別れたり、不味くて微妙な雰囲気になったり、怒って帰る奴が出たり、ノリツッコミの応酬の挙句別れ際にフレンド登録が飛んできたり・・・。
そんな出会いと別れが繰り返される中に、俺が普段最も「面倒だ」と思っているやり取りにこそMMOの魅力を感じていたんだ。
(注・魅力のポイントは人によって異なります、あくまでも「俺の場合」です)
NPCの語りは否が応にもかつての記憶を思い起こさせる・・・冒険者で溢れる砂丘を、あるいはトレイン頻発のクフィムを、ピリピリとした緊張の中で睨み合いが続く海蛇の岩窟を、バタバタと人が折り重なるように倒れるザルカバードの雪原を。
小学生の頃、放課後にランドセルを自宅の玄関に放りつけると、誰と約束するでもなく自然と子供が集まったあの公園。そして始まるドッヂボール、野球、ドロケイ、缶蹴り、新聞紙を丸めて作った刀でのチャンバラ・・・その郷愁にも似た感覚がそこにある。
そこに居る皆が感じている緩い連帯感や共感性。
そんなあるかなしかの幽かな匂い・・・それを絆と呼ぶならば、確かに其処にはそれが在ったのだろう。
今のヴァナディールからは失われつつある「空気」の様なものを懐かしむNPCの台詞に、不覚にもじわっと来てしまった・・・
まぁ、いい加減年寄りですからね、既に。
新生FFXIがキャップ75、プロマシア迄という縛りでリリースされたら買う。(断言
コメント
Nantotoちゃんはツンデレなので、次々繋がるクエストでどんどん引き込まれます。
お話だけ全部観たくなります
だんだん一人で遊ぶゲームになっていくトコロに物悲しさを感じてしまうのです
勝手な感傷なんですけどね